働きと学びと遊びに関する考察(2011年5月8日 8月16日追加)
児童健全育成指導士 田中 純一
1、始めに 働き・学び・遊びの一般的な概念を考えてみよう。
働くとは生産活動をして、賃金もしくは消費のための諸物品を作ることであろう。主に大人が生きていくために、必要とされるものである。
学ぶとは将来的に働くための知識や技能を身につけるための諸活動をすることとなる。
遊ぶとは働く・学ぶ以外に、人間が、余暇を過ごしたり、楽しんだりするものである。
働く・学ぶ・遊ぶの名詞形が働き・学び・遊びと一般的になっていると考えられる。
大人になると、一般的に会社や工場などで働き、子どもは、社会に出る前に学校において、将来に備えて学び、児童館や地域や学校において遊び、ということになっているようだ。
しかしながら、はたしてこうした専門的分野に特化していることが正しいであろうか。私は働き・学び・遊びを別々なものと考える仮説が間違いではないかと思うようになってきた。具体的に子どもや大人の諸活動を見ていると、働き・学び・遊びは複合的包括的なものであるからだ。
2、働きと学びと遊びが複合していること
ex1 山菜採りの場合
私は山菜採りが好きで、コゴミやフキノトウなどを採っている。車に乗って、仲間と一緒に遊びに行く。確かに遊びであるが、同時に収穫があり、仲間に配ったりして喜ばれる点では働きでもある。もちろん何も収穫がなく、緑をいっぱい吸ってきただけのときもある。それはそれで楽しいが、収穫があったほうがもっと楽しい。同時に山を歩きながら、花や植物や木のことを学習したりしている。つまり、山菜採りは遊びの要素が大であるが、働きでも学びでもある。
ex2 子ども達がドングリスブローチを作る場合
子ども達と一緒にドングリスブローチを作る場合で考えてみよう。ドングリとビーズを縛るために、テングスを二重三重にして縛ると解けない。そこでテングス結びの結び方を学ぶことになる。これは学びである。ドングリストラップのビーズは、紫外線感知ビーズや畜光ビーズなども使っている。紫外線に当ると色が変わったりする。畜光ビーズは暗闇で光る。何で光る?何で色が変わる?これをどう使うなども学びである。紫外線感知ビーズの色を何にするかとか、普通のビーズの色を赤にするか青にするか緑にするかなどは、遊びの要素である。最後に作ったドングリブローチを母の日のプレゼントにしたり、子ども縁日で販売するとすれば、それは働きになるだろう。
ex3 子ども達と草取りをする場合
イネ科の雑草を根こそぎ引き抜いて、きれいな環境を作る作業は働きである。子どもでも一生懸命やればきれいな環境を作り、除草剤を撒かないですむ。どの草を抜いてどの草を抜かないかを考えれば、それは学びである。赤ツメクサの花が咲いていて、その蜜を舐めて楽しめばそれは遊びでもある。
このように子ども達の活動は、本来的に働き・学び・遊びがミックスされている。ですから、遊びや学びのみに特化してしまうと物事を本質が見えなくなってくるのではないかと思うのです。
3、働きと学びと遊びがアンバランスになっている事例を考えてみたい。
ex1 緑を守れ
平成23年5月4日に平島公園にカラスの巣の撤去のためにケヤキの枝を伐採しようとしました。すると小学校3年生くらいの男の子がやってきて
「おじさん。木を切ってはいけません。緑を守ることが大切です。私は木を切らせません。」
と言ってきた。学びと働きが分離しているために緑を守る=木を一切切らないとの浅はかな知識注入しかなされていないのです。緑を守るとは木の剪定をし、雑草を刈り、汗をかいて仕事をすることだと気づいていないのです。
30年前の子どもなら、こんなことは言わなかったでしょう。身の回りで大人たちは一生懸命、木の剪定をし、飯前仕事で草を刈ってきて牛に食べさせていたからです。当然子ども達も手伝いをさせられていました。ですから、『木を切るな。緑を守れ』みたいな単純な思考パターンはありえないことでした。
ex2 説明義務
仲間の新潟青年会議所の人から昨年聞いた話しです。有名大学を卒業したのですが、コンビニなどのフリーターをやっていた若い人がやってきたのだそうです。そろそろ30歳近くなったし、定職に着きたいとのことでした。学力も良いし、人柄も良さそうだったので雇うことにしたそうです。よく日にやってきたので、
「それじゃあ君は、今日、車で配達に行ってくれないか」と話したところ
「社長。なんで私がそのような仕事をしなければならないのかを説明してください」と言ってきたのだそうです。
「仕事だから、やってください」と話をしたら、
「ちゃんと説明義務を果たせないような会社に勤めたくない」と言ってやめていったそうです。このような社員を雇い続ける企業は民間にはないでしょう。働きとは働きながら学ぶしかないわけです。学校のようにただ説明を聞いて理解した気になるとは別物でしょう。
ex3 先生達の仕事でしょ。後片付けは?
前の職場の話です。子ども達が図書室でマンガを読んでいました。読んではほったらかし、読んではほったらかして、マンガの海になっていました。そこである職員が
「ちゃんとマンガ本を片付けてから読みなさい」と言ったら、
「僕達は遊んだり、マンガを読んだりするためにここに来ています。後片付けは先生達の仕事でしょ。それで給与をもらったいるのだから、やったらどうですか」と言われたというのです。
やはり、大人や職員が労を厭わない姿勢をみせておかないと、こんな子どもが登場するのでしょう。
4、このような状況になったのはなぜ?
昔、ほんのちょっと昔まで、日本でも子どもは貴重な労働力でした。50年ほど前、私の父は小学校の分校の教員をしていました。父は田植えや稲刈りの農繁期になると、学校に子どもを寄越さないで、農作業をさせている保護者に、学校に寄越すように話に行っていました。今では子どもが学校にきたくないという時代です。でも半世紀前までは違っていたのです。
人類の歴史がかりに50万年だとすれば、1万分の1の50年の間に、日本の子どもは作業や労働をしなくなったのです。日本列島に日本人が移動してきたのは1万年前くらいらしい。そうすると9550年、日本の子どもは作業をしていて、この50年間の間に、作業やお手伝いをしなくなったことになります。子どもが作業や労働力であった時代には、遊びや学びはとても大切でした。「よく遊び、よく学べ」の言葉の裏にはしっかりと貴重な労働をしていた子どもの存在があります。
昔の子ども達は良く働いていました。その前提の中で学びや遊びが大切と言われ始めました。だが、産業構造の変容の中で子ども達が働く場面を見たり、働いたりすることは極端に少なくなってきました。こうした時代においては、遊びや学びに特化することは危険なことであると思われます。こうした時代だからこそ、子ども達の活動において、働き(=勤労体験的な要素=お手伝い)の要素を取り入れてやることが大切であろうと思います。というのは、遊んでばかりでは褒めることはできないからです。良く褒めて育てよと言いますが、『今日○○ちゃんはサッカーをして、カプラをして、絵を描いて、トランプをして、マンガを読んでたくさん遊びましたよ。偉かったでしょう』とか『算数も百点。社会も百点。理解も国語も体育も百点。素晴らしいですね』などといってみても、みんなに百点を取らせているか、特定の子どものみが褒められるかになるのです。それが働きの要素を取り入れると『今日、○○ちゃんは私と一緒にトイレのスリッパの後片付けをしてくれました。本当に偉かった』みたいな話になれば、子ども自身の自尊心も高まるというものです。働きの要素を取り入れないで褒めてばかりいても子どもの成長は難しいものとなります。
それではなぜ、働きの要素が減ってきたのでしょうか。一つには家庭労働が電化されることによって、あまり子どもの労働が必要なくなったことがあります。お風呂に入るにも今はボタン一つでOKです。40年50年前までは、お風呂に入るためには、水をお風呂に汲みいれ、薪を燃やしていました。薪の前に杉の葉を燃やすのですが、それを杉林に拾いに行くのは子ども達の仕事でもありました。電化等によって便利になった分だけ失ったものも多いのです。
業種が専門化していって、大人自身の働くということが、子どもには見えなくなってきたことも大きな要因だと思います。学校で考えてみると、昔の教員は宿直があり、学校に泊まり、トイレ清掃や校庭の草取り、花壇の水やり、ガラス拭き、床磨き、ときには雪下ろしもしていました。今では学校内だけで、校長・教頭・教務主任・生活主任・クラス担当教諭・養護教諭・調理士・図書館司書・学校カウンセラー・調理員・技師(用務員)・トイレ清掃の委託業者などなどたくさんの職種に分かれています。結果的に、『私は教える人。あの人はトイレ清掃』といった感じで、自分の職場を自分できれいにしようとの意識が薄くなってきています。専門的なきれいな仕事はしたがるけれど、汚いことは拒絶する傾向があります。このことは親も一緒ですから、勤労的な体験は身分の低い人がやるとの意識が、日本の社会にも出始めています。このことで働きが子ども達の活動の中に入ってこなくなったのかもとも感じています。
5、働きと学びと遊びのバランスをとるための活動の手法について
遊びへの特化・学びへの特化をやめて、活動を働きと学びと遊びの複合体にしていくことが大切と考えています。家庭が、働きを経験する場所でなくなってきているからです。たくさんの子どもがいる場所で、働きの要素を意識的に取り入れることが大切と思います。
ex1 カレーを400食作る
今回の東日本大震災は、本当に胸が痛む思いの出来事でした。4年前に平島一丁目の役員をされていた方が、東松島市の野蒜へ家を新築して転居しました。3月11日の震災以来、まったく携帯に出ることがなく、しかも宮城県警の行方不明名簿にも家族4人が載っていました。3月も終わろうとして、悲しいやら、でも生きていることを願っていました。
4月1日に携帯電話が通じました。新築の家だったので、なんとか流されないで3階のロフトに居て、助かったのだそうです。でも携帯は2階においてあったので、流されてしまって、連絡が取れなかったとのことでした。NTTが新しい携帯を用意してくれたので、連絡がとれることになりました。避難所にいるとのこと。
その後、いくらかけても通じなくて、また天国からの電話かと心配しましたが、4月7日に再度連絡がとれました。
「とにかく、そっちへ行くから、何が欲しい?」
「トン汁飽きた。カレーが食べたい。服が欲しい。割り箸と発砲トレーでゴミが多くて困る。箸とステンレスのスプーンと瀬戸物の皿と丼が70人分欲しい。電気と水は復旧している。ご飯は炊ける。高台のお寺さんで暮している」とのことでした。
早速、町内で、タマネギ10kgを切ってくれる家族が2家族で20kg・ニンジン8kg切ってくれる人・ジャガイモ10kg切ってくれる人を頼みました。肉は最初からカレー用に5kg細かく肉屋に切ってもらいました。それに野菜ジュース・トマト5kg・ニンニクにお酒を用意しました。カレーの具だけで50kg位になりました。
タマネギを10kg切ってくれた2家族は、小さい子ども2人がタマネギの皮をむき、お父さんがへたを落とし、お兄ちゃんとお母さんがゴーグルをして、切ってくれたそうです。タマネギの数が多かったので、とても良い調理実習になったとのことでした。核家族の家庭では、昔のように大量に料理をすることがない。子どももお手伝いの機会がなくなっているのです。こんなときこそ、たくさん作って、働きの要素を取り入れる活動があることは有用でした。しかもボランティアにもなったのです。
4月9日(土)の14時〜16時に野菜は切ってもらいました。すぐに車に寸胴鍋・プロパンガス・ガソリン・瀬戸物などを含めて150s位積み込みました。
翌朝、午前6時に二人で東松島市野蒜に向かいました。4時間半位で仙台を経由して、現地に到着しました。4年前に小学生だった子どもは中学生となり、元気に迎えてきれました。すぐにお昼に間に合うようにカレー作りを始めました。小学生3人と幼児2人と乳児1人と中学生2人とお母さんたちが5人くらい一緒に働きました。一緒の仲間で働くのが一番です。
津波の現場も見に行きました。やっと道が通れるようになっているだけで、1ケ月近く立つのに、流された車と瓦礫でいっぱいでした。流されない家は新築くらいでした。整理をしていた人にも
「カレーライスをお昼に食べに来て下さい」と呼びかけて、お寺さんに戻りました。ご飯は100人分の用意を避難所でしてくれたのですが、130人ほどの人がやってきてくれました。
「カレーのお代わりたくさんあるから、ご飯は少なめに持ってください」などと避難所の人たちと協力してやりました。結局、400人分のカレーは100人分を残してなくなりました。
13時くらいに食べ終わり、少し紙飛行機を折って遊んだりして、13時半に現地を出発して、新潟へは17時半に戻ってきました。11時間半の活動でした。
この活動の中で、多くの人たちが一生懸命400人分のカレー作りをしてくれたのですが、それは働きであると共に、互いの学びであり、同時に遊び心も内在してものだったのです。
ex2 折り紙遊びも働きを取り入れて
折り紙遊びは日本の子どもに伝えたい遊びです。折り紙も遊びで自由にやるか、学びとして練習するか、誰かのために千羽鶴を作るといった働きにするか、に分けてしまわない方が良いと考えている。いつも遊びと学びと働きをミックスするようにすることが大切ではないかと思う。
市販の折り紙をお金で買うことは、とても簡単なことです。でも、コンビ二等では不用になったチラシがたくさんある。A4サイズのチラシをカール等で正方形に切っていると、子ども達がやってくる。
「切り取った紙をシュレッダーにかけてくれない」
「正方形の紙を数えて、袋に入れて」
「ちょっと用があるから、上手く正方形に裁断しておいて」
みたいな作業やお手伝いや働きの要素を入れておくことが良いと思うのである。
学びという点では、実は他人に教えるとは、自分の考えを反芻することではないかと私は最近感じている。
私は高校生時代、中学生の家庭教師をしていた。家があまり裕福ではなかったことが一つの理由である。40年以上前の月に3,000円のバイト代はとても大切であった。その代わり週3回一日3時間くらいであった。(高校2年生から3年生まで1年半のことである。)私の家庭教師をしていた中学生は、とても勉強家でした。学校から帰ると数学を学習し、私の下宿先にやってきた。私はその頃、授業が終わると、体育館でバスケットボールをして遊んでから、下宿に帰っていた。ですから、身体はクタクタでした。夕飯を食べると眠くなるのに、教え子は6時半くらいにやってきたので、眠るわけにはいかなかった。バイト代ももらっていたので、一生懸命教えようと思った。ところが教え子は学校から帰ってくると、私がバスケットボールをしている頃には、すでに数学の宿題を終了させていた。そして、
「数学の3・5・8・10問目の問題がわかりません」といってくるのであった。私は中学生が理解できるように数学の問題を解き、説明していると、1時間が過ぎた。教え子は私が数学の問題と格闘して、中学生に理解できるように四苦八苦している間に、英語をやっていた。3.5.8.10の数学の問題の答えと解決方法を伝えると、彼はすでに英語の宿題を終了していた。そして次は
「この英語の訳をどう訳したらよいですか?」と聞いてくる。辞書と格闘してやっと解決している間に、彼は理科の復習をしている。こうして3時間の格闘は一気に時間が過ぎる。私はそろそろ自分の期末試験の勉強をしなければと思い、
「そろそろ3時間だからごめんね」と言うとしぶしぶ帰っていく。でもその後、私は疲れて勉強をしないで寝てしまうことがほとんどであった。
しかしながら、私はけっこう成績が良かった。なぜならば、人に教えることによって、自分の基礎学力を高めていたのである。無意識で。
この手法を意図的に活用することが大切であると思う。一般的に学びと教えは一方的な関係にあることが多い。しかしながら、ある意味では学びと教えは強い強い関係性があるのだ。教えとは、一般的には一方的な相手に対する教授といった働きであると勘違いされている。実際は教えと学びは相互関係にあり、同様に教えである働きと学びも相互関係になっている。
折り紙を他人に教えるときに、教えられた人が次の人に教えるとの関係性が、学びと働きの相互関係となり、質を高めるのである。教えている人が実は教えられているとの関係性になる。したがって、折り紙遊びを含めて、全ての遊びを子ども達に教えることは、常に子ども同士が遊びを伝え合い、教えあうことへ発展させる必要性がある。この時に子どもにとって、折り紙遊びは遊びから教える働きに変容する。児童厚生員にとっても折り紙を教える行為は働きから、子どもからの学びへと変容していくし、同時にたんに伝えるのではなくて、伝え合い、発展することば遊びの要素へと変容することになる。
人間は他人から伝えてもらい、それを他者に伝えようとするときに、無意識的により良いものや、より面白いものに変化させようとする潜在的な能力があります。遊びを教え、教えられるプロセスは、新しい物を作る創造過程でもあるようです。その意味でも遊び心が必要となります。
学びと教え(=働き)そして遊びは、場面によって、大きな質的立場的な変革をもたらし、新しい仲間を作っていくと考えられるであろう。
児童館や児童クラブ(=放課後児童健全育成事業=新潟市ではひまわりクラブ事業)における折り紙遊びにおいては、第1に準備や後片付けのプロセスを働きとの関係性を深めることが大切であろう。そして日本文化を伝えるとの観点から考えるならば、教える・・教えられるとの単純なパターンから教えることは教えられること、そして文化は伝えていくことであることを自覚するべきではなかろうか。
ex3 地域における環境美化活動
家庭や地域や学校で、大人が働く姿を見ることが少なくなり、家庭でもお手伝いの機会が減少してきている。この結果、働きと学びと遊びのバランスが悪くなり、頭でっかちで、実経験の少ない子ども達や若者達が増加していると考えられる。
自治会等における児童の健全育成活動は、祭りの開催やスポーツの集い・季節の行事などをやることに重きを置かれている。私は、みんなが遊ぶ身近な公園の草取り・木の剪定・ゴミ拾い・花植え活動などの環境美化活動を実践していくことが良いと考えている。
平島一丁目自治会と平島公園クラブ(屋外型児童厚生施設児童遊園である平島公園にある国庫補助による地域組織活動の補助金を受けているボランティア団体会員数50名ほど)15年ほど前より、平島公園の緑化活動に挑んでいる。私は、児童遊園の児童厚生員を新潟市長より任命されている。
児童遊園である平島公園に、10年前から、平島公園クラブというボランティア団体を設立した。国庫補助による地域組織活動は、地域の児童健全育成を目的として、年間十八万九千円の補助金を新潟市より受けている。最初の年、一般的な地域組織活動(いわゆる母親クラブ)のように補助金を活用して、遊びの提供をやってみた。しっくりいかない感じがした。風車等の遊びを用意しても、ただなので、作っては大事にしなかったのである。工作等の遊びの提供をやめて、平島公園の草取りや木の剪定・ゴミ拾い花植えの活動に、補助金を活用することにした。軍手・鎌・箕・花の苗・種・シャベルなどの平島公園緑化活動の備品等を購入することにした。
15年前には、2ヶ月に1回の草取り活動が、月に1回の活動となり、8年くらい前の平成15年度からは月2回、第1・3日曜日午前7時〜8時半くらいまでの活動となった。
大人だけの活動ではなくて、子どもも幼児も参加できる形態にしていった。お父さん達は概ね、7時から草取りを始め、お母さんと子ども達は7時15分くらいに参加して、草集めをする。8時になると用具を片付けて、コーヒーを飲んだり、子ども達にはアイスやジュースやお菓子が振舞われることになった。費用はジャスコの黄色のレシートの還元金や国庫補助による地域組織活動の補助金と自治会費などで賄われるようになった。
平成21年度よりは、清掃後に朝食会をしたり、ちょっとしたビンゴゲームなどもするようになった。遊びを通しての健全育成というよりは、一生懸命働いた後の、ご褒美的な要素が強いものである。
花と緑の平島公園・花と緑の街作りを合言葉に、働きと若干の遊びを通して、子ども達の健やかな成長をねらった活動である。
平島公園での緑化活動で、学んだことはたくさんあった。フェンス等の周りは人に踏まれないので、多年草であるイネ科の背の高い雑草が蔓延るのである。雑草は根っこから掘り起こして、やっつけるのが一番であることを学んだ。イネ科の雑草を引き抜いた後には、クローバーや花などを植えてやれば、雑草が出てこなくなる。グランドカバーということが後にわかったけれど、やってみないと学習できないものだ。3年前からはクローバーの種を必要な人に配布して、雑草を取り除いた後に撒くと良いと普及させている。花と緑の平島公園から、花と緑の平島一丁目、花と緑の新潟市へと飛躍させていく手法を見つけたように思う。
ここ3年ほどで、平島公園はクローバーの緑でいっぱいになってきた。子ども達は、四葉のクローバーを探したり、シロツメクサで花の首飾りを作って遊びだすようになった。アカツメクサの蜜を吸ったり、紅花ツメクサを家に飾ったりするようになってきた。
子ども達に、自然と遊ぶ遊び方を教えることが、先にあるのではない。子ども達が遊べるような除草剤の撒いてない、きれいな公園を作る働きが最初に必要である。きれいな公園にするための活動をやりながら、学ぶことも必要となる。きれいな公園で大人も子どもも自然と戯れての遊びが出てくる。
このように働きと学びと遊びは一つのものとして存在している。働きを重視しなければ、たんなるお遊びや知識偏重の学びになるように思う。
ex4 あかちゃんの小学生のふれあい活動
元厚生労働省の児童健全育成専門官鈴木雄司さんが、厚生労働省時代に『あかちゃんと小学生のふれあい事業』を企画してくれたことがあります。私の元職場でも委託を受けて、『小学生とあかちゃんのふれあい活動』を実施しました。あかちゃんの持つ癒しの機能を、児童健全育成に取り入れようというものです。2003年の2月8日に、花輪充先生を講師にして、若いお母さんと小学生と乳幼児で集いを行いました。
それ以来、元職場でも平島公園でも積極的に乳幼児と若いお母さんたちと小学生のふれあい活動をしています。
平島公園などで公園の草取りをしていると若いお母さんと乳幼児が興味深げに見に来ます。そんな時に
「もうすぐ2歳くらいですか?ママに似て美人ですね」などと声をかけて仲良しになる。土曜日や日曜日だと、小学生もたくさん平島公園には遊びに来ている。晴れていれば、総勢60人位が場面として一緒に遊んでいる。こんな時に、小学生に石拾いなどのお手伝いをさせる。終わった後に、ご褒美として、イオンの黄色のレシートの還元金で頂いたチョコレートやお菓子などを、私の名刺と一緒にプレゼントする。(不審者からもらったと小学生の保護者に誤解されないため)この時に、美人ママや乳幼児にもお菓子などを一声添えて、小学生に配るように言う。
「平島公園をきれいにしましょう。ゴミは持ち帰りましょう」と。
美人ママはお礼を言ってくるので、上手く、小学生と乳幼児を触れ合わせるようにする。私はあかちゃんを抱くのが、とても上手い。なんたって、30年以上、1日に5人以上のあかちゃんを抱っこしてきたからだ。たまに、あかちゃんを抱っこしてもらって、お母さんも少し、楽チンしてくれる。こんな時に小学生に
「抱っこしてみる」みたいな声かけをして、ふれあいをしている。幼児と小学生が、滑り台などで一緒に滑るのをサポートしたりする。
40年ほど前までは、子守りは小学生などの大事な仕事=働き=お手伝いであった。少子時代で、あかちゃんを抱っこしたことのない子どもが増加している。小学生が子守りの経験をすることは、貴重な体験となる。小学生が幼児を相手に遊び方を教えることは、小学生の学びを質的に高いものにする。お母さんたちも小学生の様子を見ることによって、乳幼児が将来、どのように発展していくかを見ることができる。
男女は一緒との主張が昨今強い。しかしながら、素直に子どもを観察していると、男の子と女の子は、ずいぶんと違っていることがわかる。ガードナーの多重知能理論(身体運動的知能・言語的知能・論理数学的知能・音楽的知能・空間的知能・個人内知能・対人的知能の七つに別れて独立して相互関連しながら発達するとの理論)によれば、男の子は身体運動的知能が優先して発達し、女の子は言語的知能が優先して発達していることが、遊んでいる様子からも理解できる。
幼稚園保育園・小学校低学年の男の子を育てているお母さんは、同じくらいの年の女の子に比べて、男の子が、言葉の発達が遅く、棒を振り回したり、叩いたり、石を投げたり、穴を掘ったり、鼻くそを食べたりすることに悩んでいる人が多い。
「美人ママね。男の子は女の子と違って、言葉の発達は2年位は遅れている。その分走り回る。でも考えて走ったり、棒を振り回しているのではないから、『何を考えているの?』などと叱っても効果がないですよ。危険なことをした手や足をしっかりと握りしめ、『この手悪い。あなたはいい子』と抱きしめてやれば効果的」などと実際に子どもの様子を見ながら、話したりもします。
身近な地域や公園でたくさんの小学生や乳幼児や美人ママなどが集まって、一緒に遊び、学びそしてお手伝い等の働きを取り入れていくことがとても有用です。
6、働くは国字
学びだけ、遊びだけの活動が増えているように思う。学校でも地域でも保育園幼稚園でも、もっと働きを活動の中に取り入れていくことがないと、子どもは受身になってしまう。もっともっと、社会に貢献できることがたくさんあると私は思っています。
調べてみると働くとの字は中国にはない。中国語で働くは労務するとか工作するとかの意味になる。また英語ではworkであるが、workの意味はjobするとか、お金を稼ぐみたいな意味となる。
ところが日本語で働くとは『人のために動く』と書くのである。これは画期的なことであろう。働くとは自分のためだけではなくて、他の人のためにも動くとの考えである。日本には昔から、篤農家とか篤志家との存在があり、隣保相愛相互扶助の考えがあった。働くとはお金のためではないことがよくわかる。お金にならなくても、直接的に自分の利害に関係なくても、みんなのために動くこともとても大切です。それで人間関係が成り立っているからです。
カースト制度のように身分の低い人が、汚い仕事をするという文化が、日本にはかってありませんでした。身分の高い人もそうでない人も、地域や環境をきれいにすることは日本の守るべき伝統的な文化でした。みんなが一生懸命に、働くことで社会をより良いものにいていくことだと思います。
傍から見ていて、こんな風にすれば良いのにと思うことを考えてみました。
ex1 サッカー・野球などの活動
平島公園をいつも乗用式芝刈り機できれいにしているので、たくさんのサッカー少年・野球少年がやってきて、練習しています。時には明らかに指導者らしき数人が小学生10人くらいに指導していることもあります。どのグループも平島公園を使うだけ、遊ぶだけであって、平島公園に貢献しようとしないことがほとんどです。私はもったいないなあと思っています。教え⇒学びの一方的な関係しかそこにはないからです。
公園で60分練習をするならば、なんで、最初に5分ゴミ拾いや石拾いをしないのかなあ、と思うのです。ゴミ拾いや石拾いをすれば、公園を大切にしようとの気持ちが、出てきます。練習していても、ボールが花壇に飛び込めば、花を踏み潰さないように注意をして、拾いにいくようになります。サッカーや野球が少し上手くても、花を踏み潰し、乳幼児のことに配慮も出来ないような子ども達では、人間としての成長に問題があると思うのです。指導者も指導者だなあと思うこともあります。サッカーや野球のみのことを考えて、周りの乳幼児や小学生に対する配慮をすることを子ども達に教えていません。
サッカーや野球だけを通して(スポーツを通して)児童の健全育成が出来るとの誤解が、あるように私は思います。野球やサッカーだけでは、子どもの人間的な成長は充分ではないのです。公園のような場所で活動することは、野球・サッカーのことだけではなくて、周りの子どもや花や木々や近所の家のことも考慮に入れる必要があります。
使わせていただいているとの気持ちがあれば、使う前にお手伝い。使った後に、ゴミなどがないかをきちんとチェックするなどの働きの活動を、必ず入れることが必要であると私は思います。60分の活動の中で、最初と最後に5分づつ働きを入れても、後の50分が充実していれば、質的に高い活動となるでしょう。
ex2 一般的な学習活動において
国語・算数・理科・社会・音楽・体育・図工・算盤・学習塾などの活動において働きをどのように取り入れたらよいかを考えてみたいと思います。
遊びとか学びとかは『ぱなし』に出来ることができます。『遊びっぱなし』とか『学びぱなし』とのことです。よく最後までやらなければならないとか言います。私はちょっと困ります。教育学部でしたから、英語やピアノ・ドイツ語・日本画・教育哲学・ドイツ哲学・経済原論などなどを単位としては修得させられました。でも、お情けで頂いたものです。ほぼ、『ぱなし』です。マンガなどもそうで、面白くないマンガは途中で見ません。週刊誌を1パージから最後のページまで読む人はいないでしょう。このように遊びや学びにおいてはある程度、『ぱなし』は許されることです。
これに対して『働きぱなし』は一般的に許されません。働きは『人のために動く』と書くように、他者が関与することが多いからです。また一つの働きの中にはオートマチックに一連の活動がセットになっています。このことを理解することは人間が生きていくうえで大切です。
お客様が来たので
「お茶を出してください」と言われて、お茶を出すけれど、お客様が帰っても、茶碗を片付けない若い職員が増えています。
『お茶を出してください』ということは、『お茶を出してください。お客様が一人で飲むのも飲みづらいだろうから、二人分の用意をしてください。きっとこのお客様は15分くらいでお帰りになるだろうから、お帰りになったら、飲み終わった茶碗を片付け、洗って、乾燥機にかけ、乾いたら、元の場所に片付けておいてください』との一連の活動を表しているのです。それを一々言わなくても理解できる力が人間にはあるし、そのような力がないと困るのです。マニュアル化された時代で、『お茶を出せと言われたが、その他のことは指示されていない』と言うのなら、『トイレに行ってウンチをしなさい』と言われて、トイレに行って、ウンチはしたけれど、拭きもしないで、パンツを履くようなものでしょう。もっと極端に言えば、トイレに行って、ズボンもパンツも下ろさないでウンチをそのまましてしまうようなものです。
同様に学習や習い事においても、学びそれ自体は、中途半端で終わることがあってもよいでしょう。しかしながら、学習活動の準備や後片付けは、働きの領域でもあるわけですから、『ぱなし』にしてはいけないと考えることが必要です。
例えば、算数の学習において、ノート・鉛筆・教科書や三角定規・コンパスなどをきちんと用意することは最低限、必要なことです。学習が終わった後に、これらの道具をきちんとしまうことも大切となります。授業が終わったら、黒板をきれいに消して、次の授業の準備をする。ゴミをちゃんと拾っておく等の基本的な準備や後片付けの働きがなされる必要性があります。このような基本的な働きが出来ていない学級が学級崩壊の状況に陥ることがあるのは、理解できることでしょう。
最後に
すべての諸活動に中には、働きと学びと遊びが包括されていると私は思います。その中で、働きの要素をもう一度見直す必要性がある時代にきたのではないでしょうか。
児童館・児童遊園などの児童厚生施設や地域などから、働きを大切にした活動を再構築したいと考えるこの頃です。
働きの思想
児童健全育成指導士 田中 純一